W杯アジア最終予選。日本代表にとって「結果と内容が一致していない試合」ではなかった【岩政大樹の現役目線】
タイ代表の善戦が光ったのか、日本代表が悪かったのか。それとも……?
流れの捉え方を間違えると勝利は得られない
ただ、それ以上に、この試合で改めて感じたのは、サッカーにおける「流れ」というものの捉え方です。「流れ」とは試合の中に確かに存在して、90分は必ず人生のように、流れがいい時間帯、悪い時間帯を行ったり来たりします。
この「流れ」というものは試合を戦う中で意識しなければいけない大切な要素の一つです。しかし、「流れ」というものの捉え方を間違えると勝負の神様は微笑んでくれません。
大体、サッカーを見ている人にとっての試合の「流れ」とはどのエリアでプレーが行われているか、で計られます。選手たちはもっと感覚的なところで「流れ」を感じていますが、どちらが押し込んでいるかどうかで「流れ」を捉えることはあながち間違ってはいません。選手たちも自陣でプレーしているより、相手陣地でプレーしている方が心地いいわけで、基本的にはゴールから遠いところにボールがあれば失点のリスクを減らすことができる、と考えられます。
しかし、ここにサッカーの残酷な面が存在します。落とし穴です。
これは僕の持論でしかありませんが、いい流れのときと悪い流れのときは実はゴールが生まれる確率にはあまり関係がないのではないか、と思います。つまり、いい流れの時間帯だろうが、悪い流れの時間帯だろうが、得点の生まれる確率はさほど変わりがないように感じるのです。
特にトップレベルの選手との試合でそれを感じます。レベルの高い選手は流れなど関係なく、ゴールチャンスを生み出すことが可能です。むしろ、押し込まれていると、自然に相手陣地にスペースが生まれるので、流れが悪いときこそチャンスと捉えているように感じることさえあります。僕が若い頃に対戦していた浦和レッズやガンバ大阪の外国人選手たちはまさにそうした選手たちでした。先日の香川選手も同様だったと思います。
つまり、いい流れの時間帯と悪い流れの時間帯とは、注意しなければいけない点が変わるだけで、決して「いい流れのうちに得点しなければ」と思う必要もないし、「悪い流れだから勝つのは難しい」なんて考える必要もないのです。
いい流れの時間帯では攻勢を強めながらも注意を怠らず、悪い流れの時間帯では我慢をしながら相手の隙を突く。「注意する」、「我慢する」と少し心の置き所を変化させるくらいで、常に失点のリスクに対する備えは充分にしていなければいけません。
つまり、 「流れ」というのは確かに重要ですが、あくまでいい流れを作るのは勝つための手段であって、目的ではないということです。
相手を押し込むことも、ラインを高くすることも、ボールをキープすることも同様です。目的は常に勝つことであり、これらはそのための手段にすぎません。いい流れをもってきたら勝つわけでも、悪い流れになったら負けるわけでもないのです。